佐倉と手筒花火の関わり

およそ460年前に三河・遠州地方で生まれた手筒花火。

江戸時代、蘭学が盛んなことから「西の長崎、東の佐倉」とも言われ、さらに幕府の譜代大名が入封する重要な藩であった佐倉藩でありますが、江戸時代から昭和の間において、佐倉と手筒花火との関わりを示す文献は見当たりません。

佐倉と手筒花火と初めて交わったのはなんと平成に入ってから。

平成17年、当時の青年会議所のメンバーの一人の家族に、手筒花火がさかんな静岡県は三ケ日町出身の方がおられたのがきっかけでした。

この時期、ごみ問題、海外からの花火の輸入の難航、長引く不況のため、長く続いた印旛沼国際花火大会が中止に追い込まれました。

花火大会という目玉を失い、活力が低下していたわが町佐倉に、佐倉青年会議所としてなにかできないか?と考えたのがきっかけでした。

初めは、新町や麻賀多神社において、地域の活性化を祈願し手筒花火を披露しようと計画が進められましたが、千葉県内で手筒花火を消費した事例もなく、またそれを行うに必要な法律・条例も全くない状態で計画が難航いたしました。

しかし、佐倉市民花火大会として復活した翌年の平成20年、佐倉市をはじめとする関係各所の協力もあり、手筒花火に関する県の条例を整備することができ、千葉県で初めての手筒花火を佐倉ふるさと広場にて披露することができました。

以後10年、名物2尺玉とともに、佐倉市民花火大会の発展の一翼を担うこととなったのです。

(当時のポスター)

地域社会創造委員会 委員長 佐瀬 興洋